
初めまして
小林電気工業株式会社
代表取締役社長の小林克也です。
私がどのような考え方、哲学で会社を運営しているのかをお話をさせていただきます。
小林電気工業株式会社は私の祖父小林仙吉が静岡県下田市において、昭和14年1939年に創業した電気設備工事業の会社です。
その当時は電化製品の販売が中心でした。
2代目社長の私の父親は私が生まれる前に社長になり、私が21歳の頃、昭和60年1985年に病気で他界をしております。
現会長が1985年に社長になり、その後を継いで私が40歳の時、2002年に社長を拝命いたしました。
その当時は、自分の力だけで生活を構築し自分だけが、会社を守ってきたと自負していました。
しかしそれは間違いでした。
単に周りが見えていない、傲りを自信と勘違いしていました。
また今思うのは、社長としての未経験、未熟さから、不安な心を表に出せず、虚勢を張っていた、とも言えます。
今この文章を見ておられる方もそうだと思いますが世の中には様々な方がおります。
自分にとって味方だと思う方もいれば、
敵だと言う人もいます、また味方だと思っていた人が敵になる場合もある、社長になったばかりの未熟な私には、なぜこんな意地悪をするんだろう、なぜこんな仕打ちを受けなければならないんだろうと理不尽な思いになることもありました。
社長になる前も、社長になってからも、また今現在ですら、1年に何度も、暗澹たる気持ちで落ち込むことがあります。
しかし今考えると、
すべての経験は無駄ではなかった。
社長になりたての私、心に余裕がなかった未熟な社長に、当時から手を差し伸べてくれた方々がたくさんいたのが、その時は見えませんでした。
この世の中は、広大な大海原や南米のアマゾンと一緒。
様々な生き物がいるのだと言うことがわかりました。
ただ人間の世界が、海やアマゾンと違うのは、
理解しがたいほど愚かで卑劣な人がいる一方で、真似しようがないほど、慈愛や思いやりに満ちた人々がいると言うことです。
崇高な志を持った人や、人を育てたいと思っている人、自分を犠牲にしても人を助けたい、と思っている方々がいるのだと言うことです。
私が今感じている事は、私を育ててくれた方々、ここまで連れてきてくれた方々、そういった方々にご恩をお返しすることだと思っています。
おこがましいとは思いますが、ご恩に報いる、
とは、私より後に生まれて来た人たちに、自分が得た体験や知見、知恵を道はこちらだと、
扉はここだよ、とあきらめることなく何度も、
伝えていくことだと思っています。
それが自分が、先人の方々から何度も何度も惜しみなくご指導をいただいたことへのご恩返しだと思っています。
弊社では、20年前からすべての在籍する40歳以上の社員が、人間ドックを100%会社の負担で受けることができます。
脳ドックや大腸カメラ、胃カメラ、骨盤部CT、胸部MRI、マンモグラフィーやPETCTなど、
あらゆる人間ドックのオプションを自由につけていいことになっています。
それにより会社が負担する経費は年間6,000,000円弱になります。
2021年から30歳以上に限定していた人間ドックを20歳以上に拡大をいたしました。
なぜそこまでするのか、
と様々な方から聞かれたことがあります。
40代で病気で亡くなった父親、父親を助けることができなかった私自身が無力だと言うことを思い知らされた思いは、今も深く心に刻まれています。
また小林電気工業株式会社に携わってくださる社員さんのご家族の方に、私のような経験をさせたくないと言う思いがあります。
常々社員さんやビジネスパートナーの方にお伝えしておりますが、
私は、自分が死ぬときに、あー面白い人生だった、と笑いながら死んでいきたい。
そして1人でも、昔うちのお父さんが、小林電気工業に勤めていて、毎年人間ドックを受けて命が助かったんだよ、
と、言ってくれる人があれば、それだけで私が生きた意味があったと思っています。
ミャンマーで無償医療を25年以上続けてきたジャパンハートの吉岡秀人先生は、
『君が必要とされないのは、
人からもらってばかりだからだ。
君がひとに与えようとすれば、
必ず、世間は、世の中は、君を必要とする。』
アインシュタインは、
人の価値は、
その人が『得たもの』ではなく
その人が『与えたもの』
で決まる。
と言っています。
育てていただいた方、
様々な目には見えない事を下さった方、
ここまで導いていただいた方々、
今では亡くなられた方も数多くおります。
私が今悔やむのは、そういった方々に、
心からの感謝の気持ちを、お伝えすることができないことです。
私の役目は、私より後から生まれてきた方々に私が受け取ってきたものを渡していく事が
使命だと思っています。
小林電気工業株式会社 代表取締役社長 小林克也